はじめまして。昨日、アプリを開かない価格比較アプリ「Pricey」を公式リリースした、株式会社Wilico代表の山本息吹樹です。

慶應義塾大学在学中(4年次)に弊社を創業し、大学をこの3月に卒業した、1997年生まれの23歳です。

スタートアップの起業家は、自分たちの作るプロダクトを信じ、未来を語る必要があります。そんな起業家が一番つらいことはなんでしょうか?

それは、その信じるべきプロダクトがないことです。

僕も創業から一年半の間、ピボットをくり返し、チームは崩壊、自尊心なんてものは微塵もありませんでした。

このnoteでは、最高の仲間と出会いがむしゃらに走った8ヶ月、それからのピボット地獄、チームの解散を経て「Pricey」を発表するまで怒涛の9ヶ月間。

その一年半の全てのリアルを綴ります。

本気で"人生"する山本息吹樹という人間の一年半が、今"人生"しているあなた、もしくは、"人生"しようともがいているあなたに届き、少しでもお力添えできたならと思います。

略歴

今日においては、コマース領域で「Pricey」というサービスを展開している弊社ですが、2019年6月に創業した弊社が、最初に取り組んだ市場はヘルスケアでした。その中でも「2型糖尿病」に特化したプロダクトを作っていました。

当時22歳の学生起業家だった僕が、「2型糖尿病」に取り組んでいた理由は他でもなく、僕の父が実際に苦しんでいる病気だからでした。いつか、父が当たり前に使うサービスになると信じていました。

「一つ目のサービスはたいてい失敗する」

よく言われる言葉です。
それでも、僕たちは特別で僕たちだけは違うと、そう思い込んでいました。しかし、起業から8ヶ月が経った2020年2月、僕たちは創業前から作っていたこのサービスを捨てる(ピボットする)こととなります。

それからというもの、資金が減り続ける中で、先の見えないピボット地獄が続きます。その間に、メンバーはうつ病になり、チームは解散。

それでも諦めずサービスを作り続けていたある日、ユーザーさんへのヒアリングの中で「Pricey」の原点を着想します。

それでは話は、創業よりさらに一年ほど前に遡り、仲間との出会いから始まります。

Satoshi(のちのCTO)との出会い

2018年8月のある日、当時よく一緒に作業していたエンジニアの友人が、珍しくいつもの作業場所に一人の友達を連れてきた。なんでも、Twitterのエンジニア垢で知り合った人だとか。その人とは、二言、三言ほど話してその日は終わった。

これが僕とSatoshiの出会い。

そのまま月日は流れ、年も明けた2019年2月25日、なにを思ったのか、ほぼ喋ったことすらないSatoshiに連絡している自分がいた。

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これがきっかけで、半年以上ぶりに、渋谷のTSUTSAYAの上のWIREDカフェで会って話をすることなり、結果、当時作っていたサービスの開発を手伝ってもらえることになった。

そこから、僕たちは一緒にコードを書き始めた。

覚悟の起業

僕の起業は、Satoshiへの意思表示みたいなものだった。Satoshiと一緒にサービス開発をしていると感じる、彼の異様なまでの没頭力。こいつとまだ見ぬ世界へ行ってみたい、起業するなら今しかない。僕の直感がそう言っていた。

とはいえ、お金もなければ実績もない僕には、正攻法でSatoshiを仲間にすることはできない。でも僕には、本気で世界を獲るという覚悟と、そして、実際に行動するための、母からもらったこの立派な体があった。

「起業して、Satoshiに俺の覚悟を行動で示そう。」

このタイミングで奇跡的に、大きめな受託開発案件をこなすことができ、そのお金をそのまま使って衝動的に起業した。それが、弊社Wilicoの誕生日の2019年6月11日。

正直かっこいい起業なんかではないと思う。でも、これが当時の自分ができる最大限の行動だった。

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(当時Satoshiとよく行っていた溝ノ口のジョナサン)

Shuhei(のちのCOO)との出会い

2019年7月、僕はひょんなことからサイバーエージェントキャピタルさんが主催する「Monthly Pitch」に参加した。

イベントの後、運営の人たちとの打ち上げに参加したところ、人一倍肩幅のでかい筋肉すぎるやつがいた。聞けば、高校野球の強豪、北海高校野球部出身で、2016年度夏の甲子園大会準優勝メンバーだとか。

人当たりがよく、なんでも率先して自分からこなす、そんな彼に、僕は興味を持ったと同時に、違和感を感じた。笑ってるそこに、本当の彼はいない気がした。

後日、そんな彼から連絡がきた。

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またしても思ってしまった。こいつと一緒にまだ見ぬ世界へ行きたいし、Shuhei自身ですらまだ知らないShuheiを、俺も一緒に見てみたい。

そんなこんなで、Shuheiは僕の船に乗ることに。
(一方、悔しいが、まだSatoshiは手伝ってくれているという状況でフルコミットではなかった)

給料なし、7畳の部屋での同棲生活

2019年9月、Shuheiが正式に仲間になった。嬉しさこみ上げる中、現実は甘くはなかった。

売り上げがないうえに、会社資金もない、もちろん給料は0円で、親からの仕送りだけで生活をしていたし、Shuheiに払うお金もないので、二人で7畳のワンルームで同棲をしていた。

お金がなさすぎて、毎日もやしを食べまくっていた。今思えば、これはこれで楽しかったし、Shuheiの過去の話とか、自分の話とか、普段できないような話をたくさんできた。

今執筆をしているこの部屋が、まさにその部屋で、当時使っていたホワイトボードは今も愛用している。

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(実際にこのnoteのために一年半を振り返ったメモ)

眠る時いつも、ちょっとだけ辛い毎日を振り返って、この辛さはこれからの20年、30年と続いていく挑戦の序章にすぎないと、自分を鼓舞していたのがもう懐かしい。(ちなみに、Shuheiが作るもやし炒めは塩辛すぎた)

念願の調達の裏で、メンバーのうつ病発症

Shuheiとの同棲も3ヶ月が経った11月末。弊社は、Yahoo!JapanのコーポレートベンチャーキャピタルであるYJキャピタルと、East Venturesが共同運営するアクセラレータープログラム Code Republicに採択され、資金調達を果たした。

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初めての資金調達。六本木の日比谷線の1番ホームで調達確定の連絡が入ったときの、Shuheiとの握手は忘れられない。

そんななか、これまた現実はそう甘くはなく、スタートアップとしての毎日に加え、Shuheiが家庭の問題で苦しむことになる。

そして、僕の気づかぬ間にそれは深刻化していき、ついには彼はうつ病と診断される。

本当に苦しい思いをしているのはShuheiのはずなのに、心が苦しかった。一番近くで、ずっと戦ってきた大切な仲間を、そこまで追いやってしまったのは自分のせいだと。

失敗はよくしてきた人生のつもりだったし、失敗は成功のタネとか言って笑ってきた人生だったが、正直これはばっかりは下を向いてしまった。

それでも、僕たちスタートアップが立ち止まることは許されず、全てを抱え込んで、前に進まねばならない。今日、僕たちがこうして挑戦できているのは、僕たちを信じて投資をしてくれた、株主の方々のおかげなのだから。

信じてきたプロダクトのピボット

それでも立ち上がろうとする僕たちに、さらなる現実が押し寄せる。

年が明け、2020年1月17日、なかなかサービスが振るわない中、Code Republicでお世話になっていた、松山さんハミルトンさんとのMTGのなかで、その話は出てきた。

「これからどうしよっか、サービス」

糖尿病のプロダクトは、いい結果が一つも出ておらず、そのまま続けるか、サービスを閉じるか決めなければならない状況になっていたのだ。

父の病気のためにと、がむしゃらに作ってきたサービスだったからこそ、そのサービスを閉じるということは、今、目の前で父を見捨てるかのような気がしてならなかった。

なににもぶつけられない感情で胸がいっぱいになりながらも、僕は意思決定をした。

「ピボットしよう。」

こうして、僕たちのファーストプロダクトは幕を閉じた。

チーム解散の危機

そして、新しい事業案を考えては試しながら、2020年3月になった。

そこにいたるまでに、極貧同棲時代、大切な仲間の心の問題、父の病気に対するサービスのピボットと、なかなかにハードな半年を過ごしたわけだが、僕たちのHard Thingsはこれでは終わらない。

その時、僕たちはまさにチーム解散の危機を迎えていた。

Shuheiは再度、家庭の問題が発生、Satoshiは上場企業への入社が決まっていたのだ。

なんとか、Shuheiは残ることになったわけだが、Satoshiは結局上場企業に入社することに。その会社の選考フロー中、その会社の本気さに涙を流しているSatoshiを僕は知っていたから、止めることは一切しなかった。

当時の僕らの会話を載せておこう。

Satoshi
「1年後か2年後、激強エンジニアになって絶対帰ってくる」

「あほ、1年後じゃなくて半年後な、LINEの名前も変えとくわ」
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コロナ禍でつづくピボットとユーザーさんからの罵倒

2020年4月、全世界で新型コロナウイルスが猛威を奮っていた。東京都では外出自粛令が出され、僕たちは、まだサービスもままならぬ中、フルリモートに以降するという意思決定をした。

そこから、地獄のようなピボットの日々が続く。

Crunchbaseという、海外のスタートアップのデータベースを数千社以上調べ尽くして、今伸びている市場を洗い出し、MVPを作っては試してを繰り返していた。

MVP(Minimum Viable Product)
書籍「リーン・スタートアップ」では「実用最小限の製品」と訳され、価値を実現する最も小さい製品のことを指します。

サービスを実際に提供しては撤退を繰りかえしていくので、各々のサービスのユーザーさんから、きついお言葉をいただくことがよくあった。

「せっかくお手伝いしたのにがっかりだ」
「結局、お金目当てでやってたんでしょ」

これがまた苦しかった。

誰かの課題を解決することで、世の中を少しでもよくしたいと起業したのにも関わらず、現実では、誰かの優しさを無下にしていく毎日だった

Priceyの原点の着想

2020年7月、そんな生活を3ヶ月ほど続けていると、気づけば会社は二期目に突入していた。

当時作っていたサービスは、Babylistという海外の妊婦さん向けのサービスを日本向けに作り直したものだった。妊婦さんが、オンラインショッピング中に気に入った商品をストックしていけるというサービスで、我々はMVPとして、そのサービスを公式LINE(LINE@)を用いて提供し、検証していた。

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使い方は簡単で、気になる商品のURLを弊社の公式ラインに送ると、勝手に自分のコレクションページに商品が保存されるというものだった。

いつも通り、ユーザーさんにヒアリングをしていた時、全く予想もしていなかった使われ方をしていることを発見した。そのユーザーさんは、ブラウザの「共有機能」を使って我々のサービスにURLを共有していたのだ。

実際に自分で体験してみると、新しい技術を開発したわけではないがそれは、既存の技術の組み合わせで生まれた、新たな体験だった。

これだとおもった。

そこから僕たちが着手した領域が「コマース」。もっと狭義にすれば「スマートショッピング」と言われる領域で、簡単に言えば「賢くお得にお買い物をしよう」といった領域だ。

日本には「価格コム」という最強のサービスが既にあるが、「価格コム」では、欲しい商品の名前や製品番号を打ち込んで検索し、価格比較をする。

僕たちはそれを「共有機能」から実現する。

2週間かけてMVPを作り、2020年7月末から公式LINE(LINE@)を用いて検証を開始した。

本当のWilicoになる日

2020年も9月に入り、公式LINE(LINE@)で検証もひと段落し、いいトラクションが見えていたので、ついにiOSアプリ開発を始めることにした。

昔からの友人のonomoeに力を借りながら僕たちはiOSアプリを作り始めたわけだが、僕自身の力不足のせいもあり開発が遅れ、僕は焦っていた。

このままじゃ先に資金が尽きてしまう。
そんなときだ、Satoshiから一本の電話がきた。

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「俺、Wilicoに戻るわ」

なにが起こっているのかわからなかった。

会社が好調というわけでもなく、なんなら、勝負の時というタイミングで戻ってくるという選択をするSatoshiがバカだと思った。というのは嘘で、本当に嬉しかった。

そして、2020年10月1日、SatoshiがCTOとして正式に入社した。いや、約束通り、「一年後ではなく半年後」にSatoshiは帰ってきた

やっと僕とSatoshi、Shuheiの三人が揃い、嬉しさとともに改めて、僕たち三人で見たことのない世界を見に行くぞと、覚悟を決めた。

その時の僕のツイートがあった。

喜びも束の間、アプリリリースに向けての怒涛の1ヶ月半が始まった。

そして迎えたアプリ公式ローンチ

2020年11月18日午前10時、PR Timesからアプリ公式ローンチのプレスリリース。それと共に、自分のTwitterでプレスの報告をした。

1日のだけで、300件以上のリツイート、600件ものいいねをいただきました。拡散していただい方は本当にありがとうございました。

それ意外にもたくさんの反響をいただきました。

予想以上の反響で嬉しかったのですが、昼過ぎ以降エラーが多発。
ご不便をおかけした多くの方々、本当に申し訳ありません。

まだ序章にすぎず、僕たちの挑戦は続く

今日という日に至るまで、本当に多くの失敗をしてきましたし、本当に多くのちょっとだけ大変な経験もしてきました。

でもそんな毎日は最高に人生でした。そして、楽しかったです。

そして、これらのことは、これから続く20年、30年の僕たちの物語のまだ序章に過ぎず、僕たちの挑戦は続いていきます。

最後に、一度は夢破れながらも、この年末に夢のドームライブを決めた、レペゼン地球の「博多Life」から、大好きな歌詞を紹介して、このnoteを終えたいと思います。

「人生に挑戦を、常識に中指を、失敗に花束を、全ての若者に夢を」

最後まで読んでいただきありがとうございました。よかったら、Twitterフォローしていただけると幸いです。

それでは、また。